生涯現役なイキイキ人生を目指して

キャリアコンサルタント、ダイバシティコンサルタント植田寿乃の充実した仕事とバランスよい人生を目指しつつ、感じること、思うこと

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40年ぶりの同級生に再会

初めて教えることになった某会社。実は、ファミリー経営の一族の一人が小学校の時の同級生です。

小学校1年生の時の隣の席に座った子。
まだ6歳とはいっても、やっぱり記憶に残ります。
しかも、自分が面白かったトピックだけが残る。
そして、特徴が・・・笑

ということで、研修の前に再会タイムを作っていただきました。
でも、6歳の時の私の記憶の少年は、今は52歳の間違いなくオヤジだから、わかるだろうか・・・。

笑ってしまうほど、全然変わっていませんでした。
話し方といい、雰囲気といい、そのまま大人になっている。
営業の神田ちゃんや、サブ講師の山岡ちゃんが同席しているのに、いつの間にか「くん」付で相手を呼んでしまっています。

「俺さ、おまえが小学校の学芸会でお母さん役、やってるのすごく覚えてるんだよね。おまえ、大きかったよな~。そして曲がったことが嫌いで正論を言っていたよね。親分肌だったし、今の仕事向いてるんじゃない?」

えっ、私はそんな記憶が全然抜けています。
だいたい、私の彼に対する記憶は、笑っちゃうようなことばっかりで、申し訳ないという感じです。
でも、今日の私の研修を見ることができないというので、すごく残念。
私のコースをアピールしたら

「そっか、葉山の合宿とか楽しそうだな。これ行こうかな。誰か誘うよ、同級生をさ。面白いじゃん、植田が教えようとしたら、同級生がずらっと並んでたらさ」

確かに面白そう。きっと52歳のおじさんたちが、魔法がかかったように全員6歳に見えちゃうかも(笑)

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まったくもうな、生真面目くん

アグレッシブになることは、相手を深く傷つけることはもとより、自分自身にとっても心身のストレスとして溜まっていってしまいます。自分にも悪影響だから、

アグレッシブになってはだめ! 攻撃的に言ってはだめ

わかっているのに、『全くもう~!』となってアグレッシブスイッチが入ってしまうような出来事が、仕事のば場面で今でも1ヶ月に1~2回はあります。私としては、自分のアグレッシブスイッチが入ってしまわないようにしたいのですが、堪忍袋の尾が切れるという感じで、限界点を超えるとでちゃうんですよね。

そして、だいたいその私の怒りの場面を作ってしまう原因が男性ばかりです。それがクライアントだったり、営業担当だったりといろいろなんですが、本当に。

今日はある仕事上のパートナー会社の担当の男性と上司の方とのミーティングです。
なぜ、上司が来ているかと言えば、担当の男性のあまりに失礼なメールに3週間前に私がブチ切れてしまったからのお詫びということでした。ここずっと10年近く、何人かの女性担当者が窓口だったこの会社、つい半年前に男性担当いなってから、めちゃくちゃ仕事がしにくくて困っていました。信頼関係も築けてないのに、そっけないメールで要件だけ連絡してくるし、そんな中、コップの水が溢れるどころま、一瞬にしてコップが倒れるような問題が勃発。

だいたい、呆れてモノが言えないのは、いきなり誤ったのは上司です。
おっとおっと、問題のご本人の20代男性は、口を尖らせ下向くばかり。納得してないのと違う?
上司いわく

「こいつか生真面目で、一本気のまっすぐな奴で、上司の言いつけを何しろ最優先でやろうとして、だから言われたこと最速でやるために、大変失礼なことをしてしまい・・・」

「すみません。生真面目まっすぐだから、上司の言うこいとばかり聴いているってことは、上見て仕事してるってことですよね。営業はお客さんが第一でしょう。周り横をしっかり見て、そこで信頼関係を作れなきゃ。それが営業の基本だと思いますよ。前の担当の女性は、そごく気配りできてましたよ」

あらあら、またスイッチ入ってしまいました。20分ほどスイッチが入って言いたい放題してしましまいした。
だから、女性に担当をしてくれって言っていたのに・・・。謝る前に変えて欲しいわという心の声が届いたのか、
結局、ビジネスの条件は今まで通りの形で継続、彼は異動で、4月からは前の女性の担当者になって一件落着。

私としてはいいのだけれど、男性のこういう働き方を見るのは、今が初めてではありません。
結構、私の周りで当たり前に目撃されること。私にかかわらないことであれば、私も口は出しませんが、私が関わることだと、黙ってはいませんよ。優しく、もとい、やっぱり厳しく言っちゃうかも。

私の人生観が大きく変わった日

2年前のこの日、3月11日、私は同じように研修で、受講生の前に立っていました。
大きな揺れに驚いたもののビルの1階だったので、そのまま続行というクライアントからの指示で最後までコースをやり終えたのが16時半、ビルの前の第二京浜国道に出たとたんに事の重大さに腰が抜けそうになりました。
徒歩で2時間ほどで自宅に帰り着いた時の安心感、翌日に両親と連絡がとれた時の安心感、しかし、日本がどうなってしまうのだろうと恐ろしい不安の中に、なんとも言えない無力感を感じました。

しかし、それと同時に、一瞬にして津波で命を落とされた多くの方々のことを思うと、生きていることだけで奇跡であること、そしてその感謝から、心が強く突き動かされました。

それは、何かやらなくてはというよりも、今までのような生き方・働き方ではなく、もっと意味のある生き方・働き方をしようと強く思いました。

そして、決意したのが、
オリジナルのカリキュラムの著作権の放棄

それまで、オリジナルカリキュラムは私の命だと思っていました。自分の知識、体験、経験の融合でやっとできた大事なもの、私だけしかできないものと、思い込んでいました。

でもそれは、大きな間違い、素晴らしいものならば、皆に分かちあえばもっと素敵なことが起こるはず。
独り占めせず、手放すこと・・・
でもただ、手放すのではなく、きちんと他の人ができるように応援すること、そこまでできたら、ちゃんと全部手放すことになる。それで始めたのが、植田道場です。先月で25回目となった道場、登録メンバーも20名を超えています。

そして、道場に限らず、私は世の中のために、どれだけ自分が貢献する生き方、働き方をするか、それをし続けることを、心に誓っています。ビジネスではなく、ライフワーク、それが私の決断です。

私は、あの2年前の時の決意が、研修中に行われた黙祷の時間に、私の心に鮮やかに蘇ってきました。
目を開けた時に、自分の前が、すっと明るくなったような気がします。

私をこの20年の成長を支えたものは・・・

今、思えば30代そこそこで超生意気なことを言っていました。一端の管理職で、仕事がバリバリできてと、自信過剰で強気で頑張り屋、でもストレスいっぱいでかなり危うい、それが私だったような気がします。

そんな私が部長になり、独立し、そしてIT業界から人材開発業界へと大転身、そして気がつけば13年目に入って、この世界ではちょっとは有名になったりして・・・。
自分で自分に言いたくなります。よく頑張りました。

でも、頑張れた理由があります。
それは目標になるような素晴らしい存在がいたから。
メンターかつ、私の最も大切な人。

その人に認められたい、褒められたい、いつか超えたい、そんな気持ちでやってきたんだなと思います。
ここまで来たのに、20年ぶりの彼の前では、私はちっとも変わっていない。30代の小娘の気分になるのはなぜ?

大切な時間を共有できたことを感謝しながら思います。

あなたは、やっぱりさすがです。すごすぎます。
私にとって、きっと一生、目標なんだろうな・・・。

尊敬と愛とで完全脱帽の夜

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